New Kid In Town

仕事を探しはじめて半年になるが、応募はするものの結果は出ない。
案外趣味というのは人柄を反映するものだ。しかし、あり きたりの面接では趣味趣向までは判断材料にしないだろう。ただの平凡な還暦オヤジには職場は無いだろう。ましてや若い頃まるで主食のように聴いた音楽ですら材料にはならない。夢は終ったのか。
‥‥
あるマーケティングの会社に応募し、運好く面接のオファーをもらった。デザイナーとしての経験がマーケティングの業務に活かせると考えていた。職務経歴書にはちょっと膨らませて、「クリエイティブ・ディレクター」と記載しておいた。
面接当日、覚悟を決めてダークグレーのスーツを着込み、営業時代の緊張感を思い出しながら応募会社に赴いた。通された部屋で緊張でガチガ=チになりながら、担当者の入室を待った。しばらくしてノックがあり担当者が入ってきた。
「久しぶりですね、‥‥俺や。ナンバースリーや。」
俺は「あっ」と声をあげた。髪は白髪混じりのロクヨンだったが、紛れもなく彼だった。
当時は鎖骨にかかる長い髪を真ん中で分けていた。
‥‥
40数年前、大学進学という望みを失っていた俺は、もう勉強しなくて良くなった気がして遊んでばかりいた。
居心地がよく、常連になっていたロック喫茶に週に2回から多いときで3回、空港トンネルを潜るバスで30分行った、「阪大坂ノ下」まで通った。「愚頑庵(ぐがんあん)」という喫茶店だ。
マスターはかっちゃん。大音量の中でいつもイヤホンを耳に突っ込んでいた。競馬放送だ。相当のギャンブラーらしい。ロバート・プラントふうのウェーブヘアが好く似合っていた。
「ナンバースリー」とはここの3番目の常連、という意味。彼はジム・メッシーナ風のセンターで分けたストレートヘアだった。
俺についたあだ名は「元好青年」。一見、好青年に見えたものの、話してみるととんでもないヤツという意味らしい。
一応カウンターがあって、ボトルやグラスを納める棚が正面に拵えてある。しかし、カウンターの後ろはだだっ広い空間になっていて、そこに船便用の木製のコンテナが3つ置いてある。それを取り巻くようにベンチシートがあって、空間としては喫茶店の様ではなかった。
床以外はとにかく黒で塗られていて、照明もわざと暗くしてあった。アングラ演劇やら、ライブハウスの告知やら、同人誌のPRといったサブカルチャーの匂いがプンプンするインフォメーションで壁面が一杯だ。その壁面の左右のコーナーに、でんっとサンスイのスピーカーが無造作に置かれていた。60年代の匂いがプンプンする空間だった。
イーグルスのデビュー、聴いた?」
ナンバー・スリーが新情報をくれた。
「ああ、噂の‥‥」
旧POCOのメンバーが中心となって結成されたLAのバンドだそうだ。スーパーバンドとの噂が先行していたが、デビューアルバムの出来がとてもいいらしい。Jackson Brownも曲を提供しているそうだ。だけど、果たして日本ではどうかね、ちょっと地味だろうというのが大方の観測だった。第一、メンバーにビッグネームが居ないし、日本ではプログレッシブ・ロックが幅をきかせていた。
ただ、リンダ・ロンシュタットのツアーでバックバンドを努めたストーン・ポニーズが元バンドらしく、実力は申し分無さそうだ。とにかく演奏が上手いらしいけど、職人バンドという陰口もあった。
‥‥案の定、しばらくして日本でも「魔女の囁き」が大ヒットすることになる。
「そんなら、かけて」
まずは音を聴いてみなきゃ。
‥‥一気にアルバム全曲を通して聴いた。聴き終わった時は放心状態に近かった。
これはすごい、音がクリアで演奏は非の打ち所がないくらいテクニカルで、かといってしちめんどくさくなくノリもいい。バラードもちゃんと聴かせるし曲もいい。
「これ売れるよな」
「うん、間違いないな」
「どっか、売れてほしない気がするねんけど」
「あかん。バカ売れするやろう」
何年も経ち、アルバムも枚数を重ね、ホテル・カリフォルニアのバカ売れ以降、鎮静化していったものの全員70才台になったイーグルスは今も株式会社になって堅実経営を続けている。
マイナーな響きのあった和製英語の「ウェスト・コースト・サウンド」のフレーズをこのバンドをきっかけに誰もが口にするようになった。レコード会社のマーケティング・ディレクターの造語だそうだ。だからアメリカでは通じない。
「愚頑庵」、あそこでイーグルスのデビューアルバムを聴いたのは40数年前。つい昨日、バスに揺られて行ったように感じる。夢のような空間だったが、店が取り壊されてもう随分になる。
マスターは競馬新聞のトラックマンになった、と聞いた後のことは知らない。ただときどきどうしようもなくまたあのドアを開けたくなる。
必ず声がかかるはずだ「おう、来た来た元好青年」
‥‥
面接はありきたりの平凡なやり取りに終始してしまい、採用通知は来なかった。ナンバースリーともそれ以上の関わりをもつきっかけを失ってしまった。
やはりあの頃のことはただの夢か、繰返し見続ける夢だったのか。
‥‥そうじゃない‥‥夢なんかじゃない。
ただの夢なら、こんなに胸を締め付けるわけがない。

Eagles - New kid in town
https://youtu.be/IR_Ii0hXLEk